【読書】人類を応援したい①『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン

【読書】人類を応援したい①『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン

長期間に渡って着々と進めてきたプロジェクトがあるとする。

そしてある日突然「やっぱり、そのプロジェクトいらないかも!」と言われるとしたら、どうだろう。

それに似た話を、アンデシュ・ハンセン著『スマホ脳』で読んだ。

やっぱり、いらないかも・・・


それをいま、人類が体験しているらしい。

人類が誕生してから、数百万年掛けて、着々と遺伝子をつなぎ、地道に進化してきたことが、たった数十年の社会の変化によって不要になってきているらしい。

不要どころか、邪魔な扱いすら受けている。

持て余すだけならまだしも、生活に支障を来してしまっているらしい。

例えば糖質も脂質も、必死に効率よく摂取できるように進化したのに、ファーストフードを食べると簡単に過剰になって肥満をまねく。

危険を察知するために進化してきた情報に対する感受性も、オーバーフローしているらしい。

せっかく(文字通り命懸けで)進化してきたのに……。

依存性の仕組みを抱えているのは人間の脳


スマホが依存性を有していると言うよりは、人類の注意力の仕組みに依存性が内包されているようだ。

スマホはあくまでそれを増幅する装置として機能している。

なのでスマホを敵視するのも、いまいち的外れだし、かといって脳みその機能を停止するわけにもいかない。

スマホの機能を果たしていたクラスメート


個人的に過去を振り返るなら、そもそもスマホが登場する以前から、自分たちは噂話に対して、依存的だったように思える。

例えば、中学生だった頃、クラスメートの中には噂話が好きだった人がいたことを覚えている。

一体どこから仕入れてくるのか、その人は他の学年の色恋沙汰まであれこれ情報を聞き込んできて、それをクラスのみんなに耳打ちするように広めていた。

それを聞いて感化された自分たちは、自身に対する評価も気にするようになったり、他人の目も気になるようになっていった。

そんなやり取りを「悪い習慣」として捉えていた向きもない。

どちらかというと、噂話に敏感になることを「精神的な成長」として理解していたようにも思う。

教育的にも「社会性」を身につける作業だったのかもしれない。

そんなわけで当時のクラスメートはスマホ(そのうちのSNS)がない時代にも、スマホの役割を十分に果たしていた。

悪気はないのかもしれない


本を読む限り、噂好きのクラスメートも、ファーストフードも、スマホも、悪気はないかもしれないと自分は考える。

クラスメートはただ性格的に好きなことをしていただけ。

ファーストフードは「手軽に最高に美味いものを食べたくて」生み出されただけ。

スマホも「情報のやりとりを便利にするため」に発明されたのだと思う。

人類の進化も悪気があるわけでもないし、文明の発展も悪気があるわけじゃない。

なにごともバランスと距離感が大事


月並みな結論だけれど、なにごともバランスが大事。

心の平穏のために、明確で分かりやすい対処法を求めてしまうのもまた、脳みそのクセのようなものかもしれない。