いまは違うが「酒は百薬の長」だったであろう推測を立てる

いまは違うが「酒は百薬の長」だったであろう推測を立てる

自分はビールや日本酒が好きで、日常的に飲んでいる。

個人的には嗜好している酒だが、その市場規模は年々縮小している。

おそらく酒類も(タバコの害がWHOに声高に指摘されてから世間的に一気に有毒視されたのと同じく)アルコールの依存性を挙げられ、社会にとって有害なものとして、さらに駆け足で縮小の一途を辿るだろうと思われる。

正直なところ、工業用アルコールにブドウ糖液を足したような酒(ストロング系とか)に関しては、その有毒性を言い逃れできない気もしている。それらの酒類は値段も安く、手に入りやすすぎる。

しかし、酒好きの一人として、自然な形で伝統的に生産されている「酒」について、擁護してみる。

おそらく『酒は百薬の長』だったのだろう


「酒は百薬の長」の語源は古代中国の「漢書」まで遡れるらしい。

そう言われた理由を、自分なりにざっと推測してみる。

先に説明すると、その当時飲まれていたであろう酒は『アルコール発酵と乳酸発酵が同時に起こりながら、微炭酸の状態の甘酒』とでもいえるものだった可能性がある。

①栄養状態


ひとつ目。当然、昔の人たちは現代人よりも栄養状態がよろしくなく、常に飢餓状態に近かったと考えられる。

そこに登場するのが、現代でも「飲む点滴」と呼ばれる甘酒。

甘酒(麹菌によるもの)の中にはブドウ糖の他に、麹菌によって生成される、必須アミノ酸、一般アミノ酸、ビタミン類が豊富に含まれている。

栄養状態のよくなかった昔の人たちに、穀物を糖化させた甘酒を流し込むとなると、効果てきめんだったことだろう。

②醸造技術


ふたつ目。昔の醸造技術はいまほど優れておらず、徹底的に「ろ過」されるようなこともなかっただろうと思われる。

貴族のように上澄み(清酒)だけを飲むわけにもいかず、いまでいう濁り酒、いわゆる「どぶろく(甘酒が発酵しているような状態)」だっただろう。

そのお酒は、衛生管理の限界もあり、発酵期間も短く、決してアルコール度数も高くなく、いまのビールと同等か、それよりもアルコール度数は低かっただろうと思われる。

また、発酵中も、徹底的に衛生的ではないとすると、酵母によるアルコール発酵と同時に、もろみの中に空気中の乳酸菌が侵入し、乳酸発酵も起こっていた可能性が考えられる。

(ちなみに適度に乳酸発酵が起きたもろみは「カルピス」のような甘酸っぱい味わいになる。)

そのお酒は、現代のプロバイオティクスな飲料そのもので、整腸作用のある代物だっただろうと考えられる。

③微炭酸、アルコール


みっつ目。発酵したてのお酒は炭酸ガスが含まれている。

衛生状態が良くなく、保存期間も短いため、当時は作りたてのまま、発酵による炭酸ガスが残存している、シュワシュワした状態で飲まれた可能性もある。

酵母や乳酸菌による整腸作用に加算するように、微炭酸も一役買っただろう。

当時は科学的な知識もなく「お酒=エチルアルコール」と明確に認識されてはいなかったかもしれない。

程よくアルコールが含まれている飲料を飲むことで、肉体や精神の緊張がやわらぎ、リラックスできることは経験的に理解されていただろう。

結論:身体に良いものだった可能性もある。ただ、現在の酒では言い難い


以上の理由(あくまで自分がざっと推測した可能性)によって、『酒が百薬の長』と呼ばれることにも、一理ありそうだと言える。

しかし、現代の醸造技術(高いアルコール度数)、緻密なフィルターによるろ過を経た酒では、その主張は難しい。

むしろ積極的に「酒は百薬の長」という言葉を使うことで、大きな誤解を招くかもしれない。

もちろん「アルコール」は酒類を分類するための大事な指標だが、お酒の全てではない。

味わいや香り、それらも含めて、ただのエチルアルコールではなく、酒として存在している。

そんな些末なプロフィールは無視され、徹底的に有害視されていくかもしれないが、個人的にはこれからも酒を楽しんでいきたい。

なんと言っても、もともと古来から「人々の人生を祝福する」ために用いられてきた飲料なのだから。